2011年12月1日木曜日

栄えあるリストラ1号

産業医の先生の紹介で、京大病院神経内科を受診したのは47歳の時だった。その時、「最悪の場合、3年以内に歩けなくなります」 病名はPPS(パイポ・パイポのシューリンガーではありません) と診断された。
40歳ぐらいから脚に変調をきたし、当初「脚気」と思ってビタミン剤を飲んでみた。最後のSはシンドロームのS、いろんな症状がでるが、私の場合は強い倦怠感、膝カックン(突然転ぶ)、あっちこっちこむら返りなどなど。進行性の運動神経をやられる病気で、最近は体幹・上腕・指にも影響が出てきた。
丁度そのころ常務に呼ばれて、ドイツの子会社への転勤話があった。憧れの海外転勤、おまけにドイツだ。そのために英会話も習ってきた。(といっても、最後まで”生活レベル”と言う評価だった→ビジネスはできないが、飢え死にはしないと言う英会話のレベル) 医者からストレスが一番いけませんと言われており、見かけはなんとも無いのだが、とても転勤できる状態では無かった。
5年後春先に1ヶ月ほど殆ど寝たきりになり、家内が「ケ・セラ・セラ」と言うので思い切って退社することにした。1999年、その頃バブル崩壊の影響で世間ではリストラの嵐が吹き荒れていた。社員に優しいと評判のO社も、遅ればせながら”早期退職者制度”と言うものを作った。ラッキーだった、退職金が大幅割り増しになる!(^^)! ある日、本社の人事部長から直接電話が入った「君がこの制度適用第1号だった!」
私の体調は今でもそうだが、春先から初夏(桜が咲いて、若葉が出る頃まで)と秋口から初冬(紅葉が綺麗なころ)の年2回、誰もがウキウキと出歩く行楽のシーズンが最悪だ。手続きの都合で退社は7月末となったが、その頃は「辞めなくてもいいんじゃないか」と思うぐらい体調は良くなっていた(^^ゞ

理想の辞め方は、綺麗なおねえちゃんと浮名を流し「私は d(^^)! これで会社を辞めました」(パイポ式退社)だったが、儚い夢だった・・・10年経って、やっと病気のことも冗談で言えるように吹っ切れた。これもずっと支えてくれた皆さんのお陰だ。感謝してますm(__)m