2011年11月30日水曜日

たてがみの無いライオン

今日は4週間ぶりのピアノレッスン、366個目のきんつばを持って出かけた。しばらく走ってから、チェックリストに従い入念に準備した、お稽古セットのかばんを忘れたことに気がついた。楽譜はどうせ見ないのでいらないが、月謝も一緒に入っていた。K先生に叱られる。急いで戻って、こういうときは(独り言:「長いことアメリカで暮らしていたので」と、お呪いを唱えながら)部屋に土足で上がる。靴を脱いだり履いたりが大変なのだ。
最近の私の病状から、長距離運転は体に堪える。厳しいピアノレッスンの後はさらに堪える。4回ぐらい休憩してやっと山小屋に帰り着いたら、くたくたで夕飯を作る気力など無い。
だから、ピアノレッスンがあるときは、前もって煮物などのおかずを準備してから出かける。今回は3日前からテールシチューを作って出かけた。


テールは予め煮こぼして水で洗ってから、うちのT-falでは30分加圧後、放置する。それを煮汁ごと一晩冷蔵庫に入れておけば、翌日, 上に固まった白い油(ヘッド)は簡単に分離できる。この方法はひいきのフレンチレストラン”富たん”のシェフから教えてもらった。プロはこれを2~3回繰り返して油を抜くのだそうだ。これだけで、テール1/2本分、700g、煮汁は煮こごりになった。
よくもまあ、牛はこんなものを振り回すものだ(^^ゞ


  1. いつもは面倒なのでたまねぎペーストを使うが、あいにく在庫が無かったので、たまねぎ1個スライスして、バター20gで狐色になるまで炒める。これだけが大変だ。
  2. ジャガイモ 2個、にんじん1本、食べる用のたまねぎ1個を適当な大きさに切って牛テールと一緒に放り込む。
  3. 赤ワイン 1カップ、ドミグラスソース缶詰1缶、テールの煮汁1カップ、ブイヨンキューブ1個を加えてコトコト1時間(30分でもいいような気がする)放って置けば良い。ころあいを計って、塩・コショウで味を調える
  4. 最後にブロッコリーを加えて5分
でもここで食べちゃだめだめ。カレーもそうだが、シチューも翌日以降が美味い。

一番大きなテールを盛り付けたら、なんとこれだけで260gもあった。骨が重いんだ、と言うことにしてガブリ。ほっぺたが落ちるとは、この事だ。

ふと気がつくと、夜のガラス窓に何かうごめくものが・・・
たてがみの無い禿げた雄ライオンが、牛の骨をしゃぶっている姿が映っていた。

2011年11月29日火曜日

入門 「手描室」

佐々木桂子先生 画
私は子供のころから絵が好きだ。美術館へも足繁く通っている。一度きちんと基礎から絵を学びたいと思って、飯田に引っ越してから教えて頂けそうな先生を探し、市内で開催されるいろんな展覧会へも足を運んだ。だが4年間、なかなか「これは」と言う絵に出合わなかった。
先日飯田市立病院で骨折全快宣言を受けたその日(元気でなけりゃ病院にゃいけねぇ)、外来から精算へ向かう通路の壁に展示してある数枚の絵に惹かれた。「こんな絵を描きたい」という衝撃が走った・・「手描室」とあった。
家に帰り早速ネットで「手描室」をgoogle検索、「佐々木桂子 新旧作品展」という、”かんてんぱぱ”の2010年のイベントカレンダーがあった。我が家の電話は居留守専用(電話がかかっても留守電で本人が出ないので留守のように思える)、めったに自分から電話することはないが、一大決心をして先生の連絡先に電話した。
「もしもし、佐々木先生のお宅でしょうか?」
「違います・・・ですけど」
何度確認しても、間違えた番号へは掛けていない。(だから電話は嫌いだ)
細い糸をたどるように、飯田市立病院の総務課へ電話した。案の定、個人情報ということで教えてはもらえなかったが、親切にも先生に事務の方が取り次いでくれた。一時間ぐらい掛かって、やっと佐々木先生に連絡が取れた。
今日、絵画教室の集まりがあると言うことで、お決まりのきんつばを手土産に出かけた。私より年下と思しき、それなりの女性たちが6名ほど集まっていた。皆さんお上手だ。もう15年も教室が続いていると言う。なんだ、私が雨仰庵に引っ越したときにはすでに在ったわけだ。4年間を無駄にしてしまったような気がしたが、和気藹々とした指導の様子を覗い入門させて頂いた。
あるお弟子さんのお話によると、お弟子さんは全員女性・・・・ばんざーい!

2011年11月28日月曜日

ためしてCooking~NHKガッテンを検証する~

私はNHKの”ためしてガッテン”を良く見る。そして他人が良いと奨めることは一度はやってみることにしている。そこで今日は最近放映された中から、
これはと思った、「里芋アイス」と「氷エノキ」を試してみた。

里芋アイス
1.里芋200gの皮を剥いてゆでる
2.里芋と砂糖40g、
レモン汁 小1、
水 大3
をフードプロセッサーに入れてコネコネする
3.ペースト状のものをパッドに入れて冷凍室へ
4.半分凍ったところで割り易いように切れ目を入れる

5.凍ったものをレンジで少し解凍し、またコネコネ
途中でウッといって突然もち状態になった

●家内の感想
「なんか物足らない!!!」
確かにアイスクリームだが、どちらかと言うと、 よくジャガイモで作る芋団子のほんのり甘くて、冷たい食べ物という感じ。 別に不味いわけじゃないけど・・・番組中でマミチャンが「おいしい~」と言ったのは演技だ。 これで約60kCal、ヘルシーなことはヘルシーだ。同量の普通のアイスクリームだったら150kCal位ある。

それよりも、凍らす前のペースト状のものをつまみ食いしたのだが、大変美味だった。 白玉の代わりにしたら、そっちのほうがいいんじゃぁないの?
ガッテ・・(~_~;)

氷エノキ
エノキ300g、水400ccをミキサーにかけてどろどろにする
何で300gなのかと思ったら、ミキサーに一杯入れたら300gだった。我が家のミキサーは、ひとが捨てたものを家内が拾ってきた原始的ミキサー。機能が単純なのが良い。
長野県はキノコの国、出荷場でバラバラになったクズエノキが500g袋入りで110円!(^^)! 「お一人様一袋」でお願いしますと書いてある。店の親父に聞いたら、ためしてガッテンで放送されてから買い占める主婦がいるのだと言う。家内と手分けして2袋買った。

中火で煮立ったら、弱火で30分
焦げないように、ずっとかき回すため付っきりだ。
粗熱をとって製氷皿へ、うん??? この頃の冷蔵庫は製氷皿がないぞ、と言うことでダイソーへ買いに走る

凍ったらバラバラにしてZipロックで保存

早速豚汁に入れて試作。他の出汁は無し。うま~い!(^^)! アサリの味噌汁の味と私の好きな九州の麦味噌の香りがする。
しかし30分も付っきりというのは大変だ。5分あれば普通の出汁はひける。
だが、美味いものは美味い!!

ガッテン! ガッテン! ガッテン!

2011年11月27日日曜日

オードリー・ヘップバーンとローマ字

オードリー・ヘップバーン、私の大好きな往年の大女優だ。ローマの休日は何度も何度も視た。我々の年代なら誰一人知らない人はいないはずだ。 では、ジェームス・カーティス・ヘボンという名をご存知だろうか?団塊の世代が小学生のころ習ったローマ字の元になったのが、ヘボン式ローマ字だ。 この人が作った「和英辞書」の中で、日本語を表すためにアルファベット表記を用いたものを参考にしたらしい。
このヘップバーンとヘボンを英語表記すると両方とも”Hepburn”で同じだ。 私の想像だが、ヘボンは耳で聞いた音を文字にしたもの。 ヘップバーンは、ローマ字教育を受けた人が、スペルを見ながらカタカナ表記したものではないだろうか。 ”p”は発音されないのに、”プ”を入れているからだ。
ドモコの携帯
このローマ字教育は1947年(昭和22年)に開始された。団塊の世代と歴史がほぼ同じだ。従って我々の親世代はローマ字教育を受けていない。家内の母親トヨちゃんもローマ字を読めない。
最近携帯電話の普及のあおりを受けて、公衆電話を殆ど見かけなくなった。 トヨちゃんがゲートボールに行った帰り、病院からの帰りなど連絡が取れないので、家内が迎えに行くタイミングが大変になった。 そこで携帯電話を持ってもらうことにし、家内とファミ割りができるようにDOCOMOの携帯にした。
あるとき家内にトヨちゃんから電話があった
「ども子から手紙が来たんやけど、どないしたらよいやろ?」
ども子さんて誰のことやろと実家に行ったら、DOCOMOからの携帯電話更新の案内状が届いていた。ただ、どのローマ字表記でも”こ”を”CO"とは表記しないが。
また昨年近くに関西で最大のアウトレットパークができた。このアウトレットのことを
トヨちゃんは「アルファベット」と呼ぶ。
???
何でアルファベットの教育を受けていないのに、”アルファベット”って知っているのだろう?

2011年11月26日土曜日

鬼の居ぬ間の牡蠣飯一人飯

牡蠣飯に具ダク豚汁を添えて
鉄の胃を持つ家内の苦手は磯の香りがする魚介類だ。特に誰もが涎をたらす”ウニ”と”牡蠣”が大の苦手だ。だから皆でクルクル鮨に行っても、玉(これはまだ良い)、ツナの軍艦巻、ナスの漬物、天ぷらのニギリ、大学芋などを頼む。せっかくの鮨が不味くなると皆から不興を買うが仕方がない。
冬到来、私の好きな牡蠣の季節。家内が滋賀県のベースキャンプに帰った”鬼の居ぬ間”を狙って、今日の昼食は、以前住んでいた綾部の隣にある福知山の料亭”かき末”の味を思い出しながら”牡蠣の炊き込みご飯 一人飯”とすることにした。
生の牡蠣がスーパーで売られているが、私一人では食べきれない。 そこで、毎年シーズンになると冷凍のLLサイズの牡蠣をNETで買う。最近の冷凍技術はすばらしく、一個々々がバラバラで必要なだけ冷凍庫から取り出して調理できる。いつもは三陸産と広島産を併せて買っているが、今年は大震災のため三陸産は入手できない。早く復旧できると良いのだが。 では雨仰庵流”牡蠣炊き込み一人飯”の作り方
  <分量>
1.米 1合
2.牡蠣 100g
(塩水で洗う)
3.千切りのショウガ 少々
4.調味料
・塩一つまみ
・しょうゆ 大1
・酒    大1
・出汁 上の調味料と合わせて200cc
(米の10%増しだが、適当で炊ける。
私は少し多めにする)
2と3を米の上に乗せ、調味料をまじぇまじぇして、後は普通に炊くだけ。私はガスで炊いている。
炊き上がり
(この釜では蒸気が噴出してから加熱3分
その後火を止めて、蒸らし20分)

おかずなんていらないが、野菜を摂るため”具ダク豚汁”も作った。
ダイエットを始めてから、1合炊いたご飯を4回に分けて食べている。今日の昼食は、豚汁と併せて約330kCalだ。
・・・
あんまり美味いので、国禁を犯してお替りしてしまった(-_-;)
iPhoneの"カロリーマスター”が応える
「ドンマイ・ドンマイ」
愛い奴め!(^^)!

2011年11月25日金曜日

ピアノ K先生との出会い

友人ON氏画
2005年暮れにクラビノーバを買ってから2008年6月アップライトピアノを買うまでの約2年半、自己流で練習していた。 先生を探したが、非常識な要求に何人かのピアノの先生に断られた。

1.弾きたい曲はこれです。(老学事始めに書いたとおり
2.楽譜を見ながら弾けなくて良いです。
3.バイエルとかチェルニーとか基礎練習はしたくないです。
4.人前では弾きたくありません。

常日頃、ピアノ教育には疑問を持っていた。多くの子供たちが基礎練習の途中で挫折している。遊んでいるピアノが知り合いのところでごろごろしていた。また、団塊の世代、特におば様達の中に、昔あきらめたピアノをもう一回弾きたいという人が多勢いた。
これは、ピアノのお稽古のシステムが、ピアニストを目指すピラミッドシステムになっていて、プロになれそうもない子供たちを蹴落としてゆく、ピアノを楽しむ人のシステムになっていないのではと考えた。
もちろん基礎ができなくては弾けない事ぐらいわかっている。が、弾きたい曲が、全ての基礎を学んでからでないと弾けないのでは何十年先になるかわからない。とても自分の葬式に間に合わない。そこで、弾きたい「曲に必要な基礎」だけ、練習すれば良いのではと考えたのだ。
なかなか音楽家は頭が固い。そんな折、二人だけ、この考え方を受け入れて下さった先生がおられた。一人は、元京芸のM先生。もう一人が今お世話になっているK先生だ。クラシック音楽業界では、天然記念物オオサンショウウオ的貴重な存在だ。
K先生は私と同じ超甘党、特にあんこ物がお好きだ。そんなことは知らずに、最初お会いしたときに、飯田名物「大名きんつば」をお土産にしたのが良かったのかもしれない。
2008年からレッスンを受けるため中野市まで(180km・・・NK-Japan氏にもひけは取らない)通うこと3年半、前回で丁度60回、運んだきんつば360個。ご主人も甘党らしいが、全部内緒で一人で召し上がるようだ。
 365日 x 3.5年 ÷ 360個 = 3.5486111 日/個
つまり先生は、平均3.5日に1個 => 一週間に2個のきんつばを召し上がったことになる。

「先生、きんつばお持ちしましょうか?」と電話すると、
「ご無理のないところで・・・」
私には、これは絶対持って来いという脅し文句に聞こえる(^^♪

2011年11月24日木曜日

野越え山越え~NK-Japanはどこへ行く~

香合見たて織部焼
猿庫の泉での野点
写真はもともと向付(むこうづけ)の器だったものを、誰かが香合に見たて蓋をつけた織部焼、私のお気に入りのひとつだ。骨董屋の長兄に無心した。
”向付”は懐石料理の手前左に飯椀、手前右に汁椀が置かれるのに対し、その向こう側に置かれるので”むこうづけ”と呼ばれる。最近の料理屋さんで出てくる懐石料理は豪華な食事だが、本来、茶席で供される懐石は一汁三菜の簡素な料理である。
学生時代からの友人NK氏が何故か急に茶道を習い始めた。それも100km以上離れた愛知県から、野越え山越え熱心に通ってくる。
昨日もやってきて、お師匠さんのところまで送ってくれという。今日のお茶席は料理と酒が出る(昼食付きの大寄せ茶会)ので車ではいけないとのこと。とうとう彼も私と同じ、奥様に見放され飯田山中の別荘に一人でやってくるようになった。
帰り道、「茶懐石はどうだった」と訊ねると、「懐石ではなく、点心付き茶会」だったらしい。点心は中華料理で軽食のようなものを想像するが、板前つきの豪華な和食だったそうだ。茶道新入社員の彼は、いつもパシリだ。この席でも末席かと思いきや、ブービーだった。聞くと、末席の人には、お道具を片付けたり、いろいろと作法や仕事があり、新米が大事な席で粗相をしてはいけないということだ。
飯田には日本の名水百選(環境省選定)のひとつ「猿庫(さるくら)の泉」があり、5月から10月にかけての日曜・祝日などに野点が催される。以前この様子がNHKローカルで流れた。その時、当番だった方が、件(くだん)のNK氏のお師匠さんだった。佐久間良子似の魅力的なお師匠さんで、お弟子さんは殆ど爺さんたち、競争率も非常に高い。
かのNK氏は世話好きで、頼みもしないのに知らない人をよく紹介してくる。なのに、このお師匠さんだけは私に紹介しない。
「取られると困る」からだ・・・

2011年11月23日水曜日

そらとび松平君を想う

うるせぃ!
雨仰庵に引っ越した初冬、薄暗い中、カラマツからカラマツに飛ぶ奇妙な大きな黒い鳥を家内が見た。これがどうもムササビだったようだ。となりのヨシ爺から「近所で、天井裏にムササビに入られて困っている家が、何軒もある。」と聞いていた。ここはもともと別荘地なので、普段住んでいない家が狙われるようだ。我が家の場合は小さな穴を開けたばかりで、以前述べたように、スズメバチが出入りしていた。これから本格的穴あけ工事をしようとしている最中に、我々が引っ越してきて邪魔をしてしまったらしい。
ある日、ふとベランダの軒に妙なものがぶら下がっていた。ムササビが梁の上で昼寝をしていた、その尻尾だった。こちらは、わいわいしながらカメラを構えると、眠たそうな怖い目でにらまれた。私はカラマツの松をとって、子供のころお世話になった近所のおじさんの名前を貰って「松平」と名付けた。棲家を奪ってしまったお詫びに柱に手作りの巣箱を掛けたが、気に入らなかったとみえて、その後の松平君の姿を見ない。
代わりにヤマガラの新婚夫婦が、毎年初夏になると子育てをしている。

2011年11月22日火曜日

元気でなけりゃ病院にゃ行けねぇ

5月にベランダで野鳥にひまわりの種をやった後、自己自動的・膝カックン(子供のころそっと後から近づいてやった、いたずら)が起きて、右足首の脛骨と腓骨二箇所を骨折、即入院して手術。昨日、半年たって、やっと完治宣言を受けた。
主治医から「抜きますか?」と聞かれ、最初何のことかわからなかったが、手術のとき骨の中に埋め込んだ”針金”と”ボルト”を抜くかという質問だった。運動しているうちに、金属疲労を起こし折れることがあるという。折れたら、もう抜けないのだそうだ。 「70歳以上の方は運動量も落ちるので、抜くのは勧めません」・・・微妙な年齢だが、また手術も嫌だし、障害があって運動量も健常者よりずっと少ないので、抜かないことにした。だいいち、この針金とボルトも手術代として支払い済みで私の物だ、捨てるのはもったいない(^^ゞ
毎回通院のたびに半日仕事だったが、待合室は年寄りで満員だ。(特に女性の)看護師さんたちも対応に大童だが、横から聞いていると相手によって話し言葉が変化することに気がついた。
私には事務的、むしろ冷たい感じの対応。それがもう少し頼りないお年寄りになると、極端に丁寧な言葉遣い、優しい態度に変化する。極め付きは赤ちゃん言葉だ、「ゆっくりで、いいでちゅよ~」・・・見るとその患者さんは、恍惚とした顔をしている。
(彼女たちは)超高感度の”恍惚の人センサー”を持っているらしい。だから、病院で看護師さんに事務的な扱いを受けたら、「まだ私は大丈夫だ!」と喜ばなければならないのだ。

家内の母親も結構歳だ。定期的に近くの診療所に、彼女が送迎している。ある日の、診療所の待合室での会話

「今日は、トメちゃんの顔が見えんが、どっか体悪いんちゃうかいなぁ?」
「・・・・・・・」

2011年11月21日月曜日

老学事始め その2 本物のピアノを買う

YUS3
YAMAHA YUS3-SEB
クラビノーバを弾いて約2年半、近くの喫茶店に行ったらグランドピアノが置いてある。ママに弾いてもいい?と訊ねたら快くOKが出た。が、いざ弾き始めると全くキーとペダルの重さが違う。音が出ない。以前、普段、電子ピアノで練習している子が、発表会で本物のピアノを弾くとその違いに立ち往生することがある、と聞いた。クラビノーバのカタログには「本格的な音とタッチ」と今でも書いてある。YAMAHAのうそつきめ!
そのピアノは自動演奏できるピアノで、新発見であった。早速カタログを調べて、我が家は設置場所(当時居間以外は全部和室だった)を考えて、YAMAHA YUS3-SEBというアップライトに買い換えることにし、駒ヶ根の楽器店に発注した。いつまでたっても見積もりがこないと思ったら、いきなり120万の契約書が送られてきて、判を押して返送しろと書いてあった。 修行が足らず、おまけに気の短い仙人はプチッと切れて「たかが40kmの距離、顔を見せに来い」と電話した。「忙しいので伺えません」との言だったので、その場でキャンセルしてしまった、さぁ困った。
長野のBY氏に相談すると「おれ、ピアニスト2人も知ってるよ。聞いてみる」・・・あの音痴のBY氏にピアニストの友人がいるとは信じられなかったが、ほどなく紹介の連絡があり、トントントンと仲介業者も決まり、同じピアノを発注、2008年5月に無事雨仰庵に届いた。 しかも、このピアノは付録に先生が付いていた(^^)!
これでバッチリ、自分の葬式で、このピアノに自分が弾いた「別れの曲」を自動演奏させてやる。ところが、本物のピアノで練習しても、先生のところのグランドピアノが弾けない。キーの重さ、ペダルの重さがまったく違うのだ。 私の場合、脚だけの障害から、手、腕にも障害が進んできて、健常者にはなんともない少しの負荷(重さ、強さ)の変化でもついていけない所がある。 また、後から調律師の方に聞いたところ、自動演奏するための装置がかんでいるので、普通のピアノより、キーもペダルも軽くなっているのだそうだ。 これも後日談だが、先生曰く「何であんな変なピアノ買うのかと思った。普通のピアノ買えばいいのに」・・・最初から言って欲しい(-_-;)
もうひとつおまけに、演奏を記憶させるのも、それをこのピアノに再生させるのも非常に面倒でわかりにくい。私の葬式でマイマイしている家内が、操作できるわけがない。おまけに170kgもある。どうやって、忙しい最中に葬儀会場に運ぶのか。 私の壮大な計画は大きな壁にぶつかった。
ということで、前回の写真のグランドピアノを1年後の2009年6月に購入した。グランドピアノ様の納まる8畳の部屋(雨仰庵最大の部屋)の基礎も補強、床も板張りにリフォーム。 効果てき面かどうか、その後先生のところのピアノの指や脚に感じる違和感は徐々に減っていった。(上手く弾けるようになったという意味ではない、あくまで違和感)
葬儀場ではCDに録音したものを流すことにし、5万円もするマイクとPCMレコーダも用意した。 が、手が引きつってなかなか録音できない。先は長そうなので、長生きをしなければならない。

それにしても、2005年暮・クラビノーバ(新品)→2008年5月・アップライトピアノ(新品)→2009年6月・グランドピアノ
3年かかって最後に残ったのは中古のピアノだった、あぁ(^^ゞ

2011年11月20日日曜日

間違えたパッチワーク

関西ではパッチ
本日は少し尾篭なお話しm(__)m
静岡生まれの私は子供のころ「ズボン下」、関西で住んでいたときは「パッチ」と呼んでいた・・・ところで最近の言い方はなんだ? 「タイツ」と書いてある。

雪虫も飛んだことだし、寒くなりそうなので冬支度、ユニクロにヒートテックのパッチを買いに行く。(年金暮らしになってから、すっかりユニクロのお世話になるようになった)
この頃、このパッチ、男用なのに前が開いていないものがある。一昨年、家内が用意してくれたものは前が開いていなくて用足しに苦労した。何でだろうと思っていたら、ネットでTOTOが「男の用足しの仕方について」のアンケートをした結果が載っていた。以下に転記させていただく。

男性も「座っておしっこ」33% TOTOのネット調査

男性も座っておしっこをする時代? TOTO(北九州市)は24日、自宅のトイレで洋式便器に座って小便をする男性が3割強に上り、2004年に比べて約1割増加したとのアンケート結果を発表した。 
座る理由(複数回答)は「尿が飛び散らないから」「掃除が楽だから」が目立ち、約1割は「家族などに言われて」とも回答。 
同社は「奥さんらに文句を言われていることもあるかもしれないが、清潔に保つ意識が男性にも高まっているのではないか」としている。 
アンケートは5月、20代~60代の男性500人を対象にインターネット上で実施。自宅で小便をする姿勢の質問で「洋式便器に座って」との回答が33・4%、「洋式便器に向かって立って」が57・2%となった。04年の調査では「座って」が23・7%、「立って」が65・4%だったという。
「座って」派を年代別にみると、40代と50代が4割前後で高く、20代と30代、60代以上はいずれも3割前後で顕著な差はみられなかった。
一方、「立って」派の理由では「そういうものだと思っているから」が82・2%と圧倒的で、ほかには「姿勢が楽」(28・7%)、「早く済む」(20・6%)の順。 

う~む、男の誇りはどこ行った(~_~;) 私は断固立ってやる!! 入念に前が開いているパッチ(タイツ)を選んだ。

今日早速新品を卸し、タイツなるパッチを着用した。小用でトイレに行ったところ前が開いていない・・・・しまった、あれほど慎重に選んだのに・・・・と思ったら、後ろ前テレコ(逆)に履いていた(^^ゞ

2011年11月19日土曜日

パクリかオマージュかパロディか

筆が傷むのでと嫌がる、書家F女史揮毫による玄関看板
その後を私が彫って緑青色にした
(板はダイソーで買った焼杉・・・ビンボくさぁ)
ピアノを本格的に先生について習いだしたのが2008年5月、約3年半になる。ショパンを弾きたいのなら、バッハを練習しなさいと言われ、最初の課題曲が、「バッハ 平均律クラビエール集1巻 プレリュード1 ハ長調」だった。
この曲は別に、グノーの「アベマリア」の副旋律として有名だ。どこかのサロンで、グノーがバッハのこの曲を伴奏にして、アベマリアの原型を即興で作ったとか。それを岳父が楽譜にしたd(^^o)  この話を聞いたとき「昔はパクリが許されていたのか」と思った。だが、このような行為は”オマージュ(敬意)”として、音楽の世界では良くあることらしい。
しかし昨年開催された、上海万博のテーマソングが岡本真夜の「そのままの君でいて」のパクリだったというのも有名な話だ。

そこで、パクリとオマージュの違い、ついでにパロディとの違いをネットで調べてみた。
作品の制作者サイドにとって
作品の受け手がオリジナルの存在を知っていると拙い、恥ずかしい
→ 盗作、パクリ
作品の受け手にオリジナルの存在を寧ろ積極的に知らしめたい
→ オマージュ
作品の受け手がオリジナルの存在を既に知っていることを前提にしている
→ パロディ
仙人が住む「雨仰庵」の名前は、星野富弘氏が、宮沢賢治の「雨にも負けず」をパロディにして作った「雨にも負けて」という詩から名付けたものだ。

「雨ニモ負ケテ」
  雨ニモ負ケテ 
  風ニモ負ケテ 
  夏ノ暑サニモ負ケテ
  東ニ病気ノ人ガイテモ 
  西ニ困ッテイル人ガイテモ
  ナニモシナイ
  丈夫ナ身体ニナリタクテ 
  健康食品ニ気ヲクバリ
  ウマイモノガ好キデ 
  マズイモノガ嫌イ
  オカネモホシイ 
  着物モホシイ
  ソンナ私ガ
  仰向ケニネテイル

                     星野富弘

この最初の行の「雨」と最後の行の「仰」をとって「雨仰庵」とした。この詩は、私のライフスタイルにぴったりということで拝借したが、これはパクリかオマージュか、それともパロディか?

最後に最近、巷で流行っているパロディをひとつ
(おっぱっぴの節で)
  関税なんて関係ねぇ
  関税なんて関係ねぇ
  てぃっぴっぴっ
雨仰庵仙人は最近あまりテレビを視ないので、おぱぴ君のその後を知らないm(__)m

2011年11月17日木曜日

爺い、どけち????


雨仰庵の回りは野鳥の宝庫。東京あたりからバスでバードウォッチングにやってくる。一番ポピュラーなのが左の4つ。

シジュウカラは「どけっちゅう」と鳴く。めったに鳴かないのだが、そのように聞こえる。

ゴジュウカラの鳴き声は聞いたことがない。ただこいつは大変な特技を持っている。唐松の幹を頭を真下に向けて垂直に、それもすばやく降りることができる。頭を上にして、梢の方向に上るのはシジュウカラもできるが、幹を垂直に根元に向かって走って降りることができるのはこいつだけだ。

人生はリタイヤした六十からが楽しい。
というわけで、雨仰庵には四十、五十、六十と飛んでるやつが揃っているのだ!(^^)!

この前、家内が久しぶりにベランダのガラス戸をピッカピッカに磨いたら、ヤマガラがおもいっきり衝突した。たぶん鏡のように綺麗になったガラスに森の木が映っていたのだろう。幸いにして気絶だけで済んだ。10分ほど家内のたなごころで一服して飛んでいった。隣の爺さんは綺麗好き、窓ガラスはいつもぴかぴかだ。だからよく野鳥が衝突して、時には死亡事故になる。2年前はトラツグミがお亡くなりになった。夜から明方にかけて「ピ~~~ヨゥ」と悲しそうに鳴く中型の鳥だ。
このテノリヤマガラ事件から、家内はガラス掃除をしなくなった。ヤマガラは「ジュージュー」とか「ジージー」と鳴く。

私がベランダに出て、ひまわりの種をえさ箱にやろうとすると、ヤマガラが騒ぎ出す。時々それにシジュウカラが合唱する。
(ヤマガラ)「ジジー」・・・はやく「どけっちゅうに」(シジュウカラ)
ときどき「このじじいどけち!」と聞こえる (-_-;)

2011年11月16日水曜日

山ノ神の怒りに触れたスズメバチ

なぜかブータンの中にスズメバチが
今日は"雪虫”が翔んでいた。もとアブラムシとはとても思えない愛らしい2mmぐらいの真っ白な虫だ。まるで風花のようにふわふわと翔ぶ。この虫が翔びだすともうじき雪が降る。
日中少し気温が上がると、スズメバチが盛んに飛び回っていて、この季節が一番危険だ。最近長野ローカルでは子供たちがスズメバチに襲われたというニュースがよく流れる。越冬を前に分封(ぶんぽう)のため、新しい女王と巣を探しているのか?
この前近くの土手で数人のおじさんたち(といっても同年輩)が走り回っているのに出会った。聞いたら"ジバチ”を追いかけているという。クロスズメバチのことだ。信州では昔から昆虫を蛋白源として食べる習慣があり、今でも近所の料理屋さんで、ザザムシ、ジバチ、イナゴ、サナギ(お蚕さん)などの佃煮が出てくる。 ジバチ捕りは鶏肉を数ミリに刻んでこよりの先につけ、それを蜂が巣へ運ぶのを、(蜂は黒くて見にくいので)こよりを頼りに追いかけて行く。巣穴を見つけたら、巣を丸ごと家に持って帰って、土管のようなところで飼って栄養満点にになったころ、皆で佃煮にして食べるとか。楽しい年中行事らしい。その最中に出会したのだった。

4年前仙人暮らしを始めた当初、家の軒下をムササビがかじって小さな穴を開けていた。そこから天井裏に大きなスズメバチが盛んに出入りしていた。いまは業者さんに穴を目塞ぎしてもらったのでスズメバチの出入りはないが、たぶん天井裏には今でも大きな巣があるはずだ。 ただし、聞いた話ではスズメバチは毎年巣を換える(古い巣を捨てる、つまり今の季節)ので蜂はいないはずだ。 そのころ、危険だからベランダに出ないように家内に注意していたにもかかわらず、ベランダで携帯をかけていて、頭部を4箇所も刺された。びっくりして、すぐ近所の医者に連れて行って点滴をしてもらい、大事には至らずに済んだ。ここら辺の医者には、蜂のサンプルボードがあって、「どの蜂でしたか?」と聞かれたそうだ。それだけ蜂に刺される人が多いのだ。そのとき、彼女が叩き落したスズメバチがこの写真のブータンガラス瓶の中に入っている蜂だ。4年たっても我家の山の神は蜂たちを獄門にしている。
医者から帰ってきた家内を心配して隣のばあさんが彼女の手首を見ながら
「大変だったねぇ。まぁ、ここもこんなに腫上がって、痛い?」
家内「あのぅ、そこを刺されたんじゃなくて、頭を刺されたんです」 (-_-;)

2011年11月15日火曜日

羊羹の不思議

ただいまダイエット中
今までいろんなダイエット用”サプリメント” や ”なんたらかんたらダイエット法”など試してきたが、効果があるやり方ほどリバウンドがきつい。
一時68kg→59kg(BMIが最適)までいったが、今年の初め64kgまでリバウンドした。5月に骨折して入院したとき病院食でも体重が増えた(~_~;)
最近iPhoneアプリ「カロリーマスター」で食事とエクササイズの管理を始めてから無理がないダイエットが実行できている。
目標設定は-1kg/月だが、64kgの男性の体重では、一日のカロリー目標約1300kCalとアプリが計算してくれた。今までの経験から言って、一日1300kCalはきついなと思ったが、(摂取エネルギー)-(消費エネルギー)のことであった。いろいろ試しているが、家事(台所、掃除、買い物)+ピアノ練習などの消費カロリーを差し引くとだいたい1600kCalの食事を摂ることができる。
このアプリの良いところは、あと、どれくらい食べられるかシミュレーションできることだ。たとえば大好きなきんつばを今食べたらどうなるか計算してくれる。
今3ヶ月たったが、おかげで予定通り減量できている!(^^)!  また、きちんと計量しながら食事を作るようになって、調理中や盛り合わせの時、だいたいの目分量で重さがわかるように進歩した。
先日、近所の甘党仲間から虎屋の「新緑」という緑色の羊羹を丸ごと一本戴いた。 まさにネコに鰹節状態(^^♪ 早速アプリにご託宣をお伺いしたら「50g」食べても良いという結果が出た。最近の特訓の成果、目分量で50gと思しきところにナイフを入れた。計ってみたらなんと220gもあった。もちろん私が斬った羊羹だ、しかるべく成仏させた(^^ゞ

全部食べてから言うのもなんだが、私は緑色の羊羹より、真っ黒なしかも歯が折れそうな練羊羹が好きだ。「おふくろさん」の歌詞問題で、森進一が故川内康範先生に謝りに行った時、手土産にしたという2本で12000円もする虎屋の羊羹、一度食してみたいものだ。

2011年11月14日月曜日

秋のコンフィチュール

なぜか近所のばぁさんたちは
この雨仰庵ラベルを剥がそうとする
信州は果物王国である。みかん類を除けば大概の果物が安く手に入る。物によっては山に廃棄する寸前に貰える!(^^)!
仙人暮らしを始めてから暇つぶしに果物つぶし=ジャム作りを始めた。今日は「王林」ジャムを1.5kg作った。
最初はなかなかうまく固まらなかったりシャバシャバになったりだったが、ある本に出会ってから格段の進歩があった。最近はご近所のばぁさまたちからもなかなか評判が良い。

「コンフィチュール レシピ125」 小川聖子著/グラフ社 (注:amazonで調べたらもう廃版になっているようだ)
知り合いのおばさんたちから、よくジャム作りに失敗したと相談を受けるが、失敗の原因は大概次の通り
1.水を加えて煮る
ジャムは果物本来の果汁を煮詰めるので、水を加えるとシャバシャバになってしまい、とどのつまり大量の凝固剤を入れることになって益々まずくなる。水を加えるとしてもせいぜい100ccまで、果汁が出るまでの誘い水程度。
2.自分の体形を気にして砂糖を控えめにする
ジャムは、果物が本来持っているペクチンと酸と糖分のあるバランスと熱でゼリー状になる。バランスをとるために、酸や砂糖を補給してゼリー状にするのだ。だから、勝手に砂糖だけ減らしてしまうとゼリー状にならない。ちなみに酸はよくレモン汁を使うように書いてあるが、レモンオイルの香りが勝ちすぎるので、私は添加物用のクエン酸を使っている。このほうが、果物本来の香りを残すことができる。
3.最初から砂糖を加えて煮てしまう
場合によってはこの方が煮崩れがしにくいが、焦げ易いので付っきりでジャムを作らねばならない。ジャムがコベコベになるのはこれが原因だ。リンゴとイチゴ以外は、果実を軟らかくなるまで煮て、その後所定の半量の砂糖を加えて10分。その後残りの砂糖を加えて5分。最後に濃度を見ながら火を止める。

弊社(雨仰庵御禁制じゃむ倶楽部)の作るジャムはプレザーブタイプ(preserved type)という果実の形をある程度残した、どちらかというと高級なジャムだ。人気順は
1.プルーン 2.杏 3.ブルーベリー 4.スモモ・文旦マーマレード 5.モモ・リンゴ・イチゴ 6.梨
以前は上位にカリンが入っていたが、製造工程で指を毎回切るため(すごく硬いので)、製造中止になった。渋みと酸味のある香りの良い大人のジャムだ。そして色だ。見事なオレンジ色のジャムができる。長野県ではカリンとよく似た(たぶん親戚)マルメロが栽培されていて店頭に出る。形も大きいし綺麗だし、と思ってジャムにしたら不味い。色もクリーム色になる。

ただいま「雨仰庵御禁制じゃむ倶楽部」会員は14名、定員オーバーのため新規会員は現会員の退会待ちとなっております。また痩せた方は会員になれません、ご容赦くださいませm(__)m

2011年11月12日土曜日

老学事始め

雨仰庵コンサートホール
  思い起こせば2005年12月16日にクラビノーバが旧我が家に届いた。

小学生の高学年たぶん5年生位の時だったと思う。親父に「ピアノを習いたい」と言ったら「そんなもん女が習うもんだ!」と一蹴された。明治生まれの頑固な親父だったが、たぶんこいつはピアノを習わせたらのめり込んで勉強しなくなると考えたのだろう。ピアノの代わりにそろばん塾に通うことになった。 それから45年ピアノを弾きたいという思いが潜在意識として発酵し、とうとう親父が心配した通りになった。
男は「まず道具だべ!」が信条、同じ型式の中では一番高級なクラビノーバだった。

弾きたい曲は山ほどある。無謀にも「ショパンのノクターン 変ロ短調 op.9-1 (ノクターン1番)」から始めた。ルビンシュタインのように弾きたい。まったくどうして良いかわからないので、まず楽譜をキー入力してクラビノーバのキーボードの上にある赤と緑の”ここ弾けランプ”を頼りに練習した。後日談だが今の先生に「あんなランプ何の役に立つかと思ったが、使う人がいるんだぁ(^^♪」と大笑いされてしまった。

私のピアノコンプレックス克服計画は以下の通り壮大なものだった

すぐ練習したいもの
1.ショパン:ノクターン1番
2.  同        8番
3.ショパン 前奏曲 雨だれ
4.最初から終わりまで(冬ソナのテーマ)
※注:綺麗なおばさんがもしかすると・・・かもしれないと選んだ曲
5.テネシーワルツ
近い将来弾いてみたい曲
6.ベートーベン ソナタ 月光 第1楽章
7.    同        パセティーク 第2楽章
8.ショパン:ノクターン 19番と20番
遠い将来、死ぬまでに弾けるかどうか、弾けたらいいなの曲
9.ショパンノクターン 13番
10.ショパン 幻想即興曲
11.Misty
13.ショパン 練習曲 別れの曲(私の葬式用)

なんと自分の葬式に自分が弾いた「別れの曲」を自動演奏させて、参列者を泣かそうという計画だったのだ。それで自動演奏ができるクラビノーバを設備投資したのであった(^^ゞ
(続く)


2011年11月11日金曜日

何故かブータンの風が吹いている

ブータンシボリアゲハ
  10月30日(日)夜NHKで放送された”秘境ブータン 幻のチョウを追う”という番組をご覧になった方も多いと思う。 半分チョウキチになっている我々夫婦が見逃すはずもない。
なんと85年ぶりに確認されたとか。現存する標本は、その85年前に採取された大英博物館にあるものだけだったらしい。
 
  また、長野の友人BYボッチ氏のつてから知ることになった月尾嘉男・東大名誉教授。先生がプロデュースするBS-TBSの「地球千年紀行」という番組は、私が好きな番組の1つだ。10月23日の放送は”ブータン王国~「足るを知る」生活で伝統を守る”という内容であった。 なぜかここのテーマもブータン。実は「足るを知る」という言葉は、最近の私がモットーにしている言葉である。
 
  昨日は家内が敬愛している、完全チョウキチのM博士のお宅にお邪魔させていただいた。もちろんブータンシボリアゲハの話も弾んだ。ご夫妻で数年前にブータンを訪れられたとか。おいとましようと部屋を出るとき、ふとドア付近に置かれた一冊の文庫本が目に留まった。
「秘境ブータン」(岩波現代文庫) M博士の奥様の父上が著された本であった。日本人として初めてブータンを訪れた方だと言う。
帰る車の中には、ちゃっかりとその本があった(^^ゞ
 
  このように最近私の周りをブータンの風が吹き抜けている。映像を視ると、すべての風景・風俗・習慣になぜか懐かしい気持ちがわいてくる。一度行ってみたいと思うが、今の私の体調では残念ながら無理だ。

PS: 実は家の中にも”ぶーたん”が一人いて、ひらひらと翔んでいる(^^)

2011年11月9日水曜日

石巻市雄勝のこと

雄勝公民館 バスが屋上に!
  この3月11日午後3時前、雨仰庵居間で関西で言う「頭がふいふいする」眩暈におそわれた。以前わずらった「良性発作性頭位目眩症」の再発かと思いきや、天井から下がっている明かりペンダントがガンガンと揺れている。地震だ、と思ってすぐテレビをつけたら、震源地宮城県沖、震度6強とすぐ放送された。これがこんなに悲惨な出来事の始まりとは思っても見なかった。  が、ぬくぬくとストーブに温まりながら、車や家が次々と津波に飲み込まれていく姿をテレビで見ている自分にふと気がついて情けないと思った。報道により次々と被害の大きさがわかってくるにつけ、石巻に住んでいる友人YAさんが心配になり、電話してみたがつながらない(今思えばつながるはずがない)。つぎにいろいろとネットや携帯サイトを探したが見つからず、2日目になって盛岡に住んでいる彼のお嬢さんが、google person finderで家族の安否を尋ねているのを発見した。ますます心配になり、飯田のリンゴ農家の知り合いのお嬢さん→滋賀大ネットワーク→彼の親戚・・とたどり、やっと家族全員無事という確認ができたのは1週間後であった。被害状況を知るにつけ、良くぞ無事生き延びてくれたと涙が出てきた。いまこのブログを書いていても涙が出てくる。それにしても、人の縁とかその絆の不思議を感じた1週間であった。

3月29日にYA氏の滋賀県の親戚の方が集めた支援物資を目一杯ワゴンに積んで出かけることにしたが、現地ではガソリンの給油ができないということでリザーブタンクを探したが売り切れで入手できず、出発当日朝、2日掛りでやっと40L分(注:こんなときは危険物取締法なんてくそくらえだ!!)準備できたら、今度は飯田でもガソリンの給油制限が始まってしまった。ガソリンスタンドを梯子して何とかなるだろうと(これは家内の発想)中間点の新潟のビジネスHだけ予約して出かけた。 被災地支援の許可なく(変な許可があるもんだが)現地入りした私たちは、途中から現地に入ることができず、友人と仙台郊外で出会い、物資を渡すことになった。今思えば、北上川沿いの道は決壊、女川町は通行止めで、許可なく入るは禁ずは正解m(__)m。

7月半ばにまた訪問した。今度は雄勝まで入ることができたが、街全体が吹き飛んだようなすさまじい光景にただただ呆然・・・とてもシャッターきる気持ちにはなれず。一枚だけ撮らせてもらったのがこの写真である。雄勝町中心部の公民館の屋上にバスが流れ着いた。
被災された人たちの人生を一瞬で変えてしまった出来事だったが、現地に立った我々の人生観も一瞬にして変える景色だった。6月から仮設住宅に入ることができたそうだが、あの景色はあのままらしい。先はながいので、頑張り過ぎないことをお願いしたい。

おとといのニュースで、雄勝中の生徒が、古いタイヤにビニールテープを張って、東京駅と修学旅行先の京都のさる中学で太鼓演奏をしている姿が映って感動物だった。雄勝中学は、かのYA氏が数年前まで校長をしていて、私も中学を訪問したことがある。7月に訪れたとき見た中学校の校舎は津波に呑まれた無残な姿であった。全校生徒無事だったと聞きほっとする思いと、太鼓演奏の見事さに明るい未来を感じた。この子達がいれば大丈夫だ。「黒船太鼓」と言うのだそうだ。そういえば、雄勝には、支倉常長が遣欧使節として赴いたとき乗船した「サン・ファン・バウティスタ号」を建造したドックの遺跡がある。 またニュースの中で、改装中の東京駅の屋根のスレートは硯石で有名な雄勝石を使っているとか。そういえば、雄勝石の工場跡から東京駅に送るスレートを掘り出しているニュースがあった。私事だが、10月に親父の法要で寺に行った時、その玄関に敷き詰めてあったのは雄勝石だった。ここでも不思議な縁を感じる。

被災地の様子はまったくニュースで流れなくなったが、その後変わっていないようです。これからの皆さんの支援をお願いしたい。


 雄勝町は→ここ

2011年11月8日火曜日

かざこしの里

昨日近くの特別養護老人ホーム「かざこしの里」でボランティア講座 ”車椅子と歩行介助”の講習会があったので、My車椅子に乗って参加した。人が体勢を変えるときの重心の移動など解り易い説明で、大変参考になった。ただ、期待して行ったのは、ベッドから車椅子、車椅子からベッドのなどの介助を一人でする場合の細かいテクニックなどを聞きたかったので、その点少しあてが外れた。質問したところ、現場のプロの方も二人が掛かりで(力任せに)介助するなど、ご苦労のようであった。以前、NHKのためしてガッテンで見たときは、一人で楽々と乗り移りを介助していたが、残念ながら録画したものを消してしまった。ためしてガッテンのHPでは図による解説が残っているが、今ひとつ理解できないのである。再放送して欲しいなぁm(__)m
ちなみに沢山あった車椅子の中で、私のMy車椅子が一番良かった(^^ゞ

誰もがWaoというピーナッツの根付?
同じかざこしの里のギャラリーで雨仰庵隣組の住人Sさんの「木を楽しむ」展が開催されている。趣味の域を超えた小物の木彫、飾り皿、バードカービングがずらり。
一番人気は左の「ピーナッツ」誰もが割りたくなるらしい。

かざこしの里

バードカービングも本物そっくり。写真を見ただけで立体的な彫刻に仕上げるなんて(それも数時間らしい)、頭の中を覗いてみたい。
弟子入りをしたいが、まず男は道具を揃えにゃぁいかんね(^^♪

2011年11月7日月曜日

初アップがなんとすえたおでん(^^ゞ

 2週間ほど前に仕入れた生牛筋を圧力鍋で前処理→冷凍、二日前にまた圧力鍋で大根を下茹でし、おでんを仕込んだ(^^♪
今日の昼飯いざ食べんと欲すれど何かおかしい。盛り付けようとしたら糸を引く???もう11月というのに何故か暖かい。ちょっとの油断でやられてしまった。
この一鍋のおでんで3日間はおかずを作らずに過せたのに・・・・・・・・