2011年11月22日火曜日

元気でなけりゃ病院にゃ行けねぇ

5月にベランダで野鳥にひまわりの種をやった後、自己自動的・膝カックン(子供のころそっと後から近づいてやった、いたずら)が起きて、右足首の脛骨と腓骨二箇所を骨折、即入院して手術。昨日、半年たって、やっと完治宣言を受けた。
主治医から「抜きますか?」と聞かれ、最初何のことかわからなかったが、手術のとき骨の中に埋め込んだ”針金”と”ボルト”を抜くかという質問だった。運動しているうちに、金属疲労を起こし折れることがあるという。折れたら、もう抜けないのだそうだ。 「70歳以上の方は運動量も落ちるので、抜くのは勧めません」・・・微妙な年齢だが、また手術も嫌だし、障害があって運動量も健常者よりずっと少ないので、抜かないことにした。だいいち、この針金とボルトも手術代として支払い済みで私の物だ、捨てるのはもったいない(^^ゞ
毎回通院のたびに半日仕事だったが、待合室は年寄りで満員だ。(特に女性の)看護師さんたちも対応に大童だが、横から聞いていると相手によって話し言葉が変化することに気がついた。
私には事務的、むしろ冷たい感じの対応。それがもう少し頼りないお年寄りになると、極端に丁寧な言葉遣い、優しい態度に変化する。極め付きは赤ちゃん言葉だ、「ゆっくりで、いいでちゅよ~」・・・見るとその患者さんは、恍惚とした顔をしている。
(彼女たちは)超高感度の”恍惚の人センサー”を持っているらしい。だから、病院で看護師さんに事務的な扱いを受けたら、「まだ私は大丈夫だ!」と喜ばなければならないのだ。

家内の母親も結構歳だ。定期的に近くの診療所に、彼女が送迎している。ある日の、診療所の待合室での会話

「今日は、トメちゃんの顔が見えんが、どっか体悪いんちゃうかいなぁ?」
「・・・・・・・」