2012年1月3日火曜日

年の差相対性理論 ~箱根駅伝を視て~

私はオリンピックの競技も含めて、陸上競技はあまり好きではない。昔から、走るのが苦手で、運動会は雨が降って欲しいと、いつも祈っていた。そんな中で、駅伝だけはテレビで良く見る。特に、年末の高校駅伝と、正月の箱根駅伝は大好きだ。以前は、琵琶湖毎日マラソンのコース上に住んでいたこともあり、マラソンも好きだった。しかし、最近の生き残りゲームのようなスピードマラソンは、ドラマが少なくなって詰らなくなった。
駅伝は、各チームの選手の好・不調であちこちでドラマが生まれる。一人当たり20km以上任される箱根駅伝ではそれが顕著だ。今年の東洋大は全員が好調で、俗に言う”行った行った”になってしまったが、2位以下では、各所で順位が入れ替わり、必死の選手諸君には申し訳ないが、楽しませてもらった。
この大学生達を見ていて思ったことだが、以前は選手を見ても、”社会人と変わらない大人”として見えた。それが、最近”とてもかわいい子供”に見える。 そういえば、だいぶ前、近所の通学中の子供達を見て、小学生か中学生か区別が付かなくなっていたが、最近中学生・高校生の区別が付かなくなった。 どうも年を重ねるに付け、年齢を判断する閾値(しきいち)がどんどん上がるようだ。
そのうち、綺麗な、おねえさんおばさんの区別がなくなるのではないかと、とても心配だ。