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国宝 今昔物語
(鈴鹿家旧蔵) |
私の受験生時代は灰色だった。私が通っていた高校は、3年生になると”文系”と”理系”に分けてクラス編成をした。当時は”理系”に進学する女子は皆無だった。当然、ひそかに想いを寄せる彼女とも離ればなれになった。
地理や特に歴史が苦手な私は、受験選択科目に”古文”を選んだ。(当時は必須・選択を含め、7科目位の試験があった)
所属する弓道部の副顧問だった
T先生はよく目をかけてくれたが、また授業中によく名指しをされた。「
O君、”日置”は何と読むか?」「・・・・・・・」 今なら簡単に答えられる、弓道部だからこその(意地悪)質問だった。当時の弓道部の流派は”小笠原流”、かわいい少年には”日置流(へきりゅう)”という弓道の流派があることを知らなかった。 この先生が人気があったのは、授業の最初に始める”艶話”(男子クラスのみ、今で言うツカミ)だった。話し出すと30分、興に乗ると授業が全部それで終わった。ここでは書けないきわどい話も沢山あったが、特に印象に残っている話は、平安時代の「片思いに身を焦がす男」の話だ。ずっと私は、”徒然草”か”枕草子”の中の話と思って探したが見つからなかった。そのはずだ、"今昔物語 巻30の1"の話しだった。芥川龍之介の「好色」の原話として有名な話らしい。
ある貴族の男が、さる高貴なお屋敷の侍従の麗しき女性に一目惚れをした。かなわぬ恋に、思いつめた彼は「あの人のウ○チ」を見れば幻滅して諦めがつくと、下女が川原に捨てに来た蒔絵のオマルを奪って逃げた。
家に帰って開けてみると、代わりに香が焚きこめられていて、その奥ゆかしさと聡明さに益々恋焦がれ、狂い死にしてしまった・・・・
(当時十二単の女性は、オマルで用足しをしていた。下女が捨てにきたものは、おとりだったのだ。)
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[古文・原文]
巻第30第1話.今は昔、兵衛佐平定文(ひょうえのすけ・たいらのさだふみ)といふ人ありけり。字をば平中(へいちゅう)となむいひける。品も賤しからず、形・ありさまもうつくしかりけり。気配なむども物言ひもをかしかりければ、そのころ、この平中にすぐれたる者、世になかりけり。かかる者なれば、人の妻・娘、いかにいはむや宮仕え人(みやづかえびと)は、この平中に物言はれぬはなくぞありける。
しかる間、そのときに本院の大臣と申す人おはしけり。その家に侍従の君と言ふ若き女房ありけり。形・ありさまめでたくて、心ばへをかしき宮仕へ人にてなむありける。
平中、かの本院の大臣の御もと(おおんもと)に常に行き通ひければ、この侍従がめでたきありさまを聞きて、年ごろえもいはず身にかへて懸想しけるを、侍従、消息の返事(かえりごと)をだにせざりければ、平中、嘆きわびて消息を書きてやりたりけるに、「ただ、『見つ』とばかりの二文字をだに見せ給へ」と、くり返し泣く泣くと言ふばかりに書きてやりたりける。
(中略)
平中、その筥(はこ)を見れば金の漆を塗りたり。つつみ筥の体(てい)を見るに、開けむこともいといとほしく思えて、内は知らず、まづつつみ筥の体の人のにも似ねば、開けて見疎まむこともいとほしくて、暫し開けでまもり居たれども、さりとてあらむやはと思ひて、おづおづ筥の蓋を開けたれば、丁子(ちょうじ)の香いみじく早うかがゆ。
心も得ず怪しく思ひて、○○筥の内をのぞけば、薄香(うすこう)の色したる水半ばばかり入りたり。また大指の大きさばかりなる物の黄黒ばみたるが、長さ二、三寸ばかりにて、三切ればかりうち丸がれて入りたり。思ふに、さにこそはあらめと思ひて見るに、香のえもいはずかうばしければ、木の端のあるを取りて、中を突き刺して鼻にあててかげば、えもいはずかうばしき黒方の香にてあり。
すべて心も及ばず、これは世の人にはあらぬ者なりけりと思ひて、これを見るにつけても、いかでこの人に馴れ睦びむと思ふ心、狂ふやうに付きぬ。筥を引き寄せて少しひきすするに、丁子の香に染みかへりたり。またこの木に刺して取り上げたる物を、先を少しなめつれば、苦くして甘し。かうばしきこと限りなし。
平中、心とき者にて、これを心得るやう、尿(ゆばり)とて入れたる物は、丁子を煮てその汁を入れたるなりけり。今ひとつの物は、ところ・合わせ薫物(たきもの)をあまづらにひぢくりて、大きなる筆柄(ふでづか)に入れて、それより出ださせたるなりけり。
これを思ふに、これは誰もする者はありなむ、但しこれをすさびして見む物ぞと言ふ心はいかでか使はむ。されば、様々に極めたりける者の心ばせかな、世の人にはあらざりけり、いかでかこの人に会はでは止みなむ、と思ひ惑ひけるほどに、平中病み付きにけり。さて悩みけるほどに死にけり。
[現代語訳]
今は昔、皇居を警備する役所に平定文(たいらのさだふみ)という男がいた。みんなから「平中(へいちゅう)」という渾名(あだな)で呼ばれていた。身分も高く、外見も容姿端麗であり、かっこ良くてモテると評判の色男だった。人当たりも良くて、会話の内容も面白かったので、当時は、この平中よりもかっこいい色男はいなかった。こんな色男だから、既婚の妻でも未婚の娘でも、宮中に勤める女性の中では、平中に言い寄っていかない女はいない。
その頃、本院の大臣(藤原時平)という権力者の屋敷に、侍従の君という若い女房が仕えていた。侍従の君は、容姿が美しくて、性格も魅力的な宮仕えの女房であった。
平中は本院の大臣の屋敷に出入りしていたこともあり、侍従を褒め称える評判を聞いて、長い間、恋心を寄せていた。しかし、侍従の君は、手紙の返事さえ寄越さない。平中はがっかり落ち込んでしまい、「せめて、手紙を『見た』という二文字だけでいいですから、返事を下さい」と、繰り返し泣くような調子で懇願する手紙を書いて送った。
使いの者が侍従の君の返事を持って帰ると、平中は慌てながら物にぶつかって飛び出して、その返事を受け取った。見ると、自分が『「見た」という返事だけでいいですから返事を下さい」と書いたその手紙の「見た」という二文字だけを破りとって、薄様の便箋に貼り付けて送ってきたのだった。
(中略部分)
貴族で一番モテる平中の誘いにも、侍従の君は全く乗ってこない。平中は次の作戦として、五月雨の降り続く雨の夜に、侍従の君の部屋を訪れようと考えた。激しい雨の夜に訪ねていけば、自分に同情してくれるのではないか、自分の熱意溢れるアプローチを受け容れてくれるのではないかということである。雨の夜に訪れると、二時間も待たされてから、部屋の鍵が開いて中に入ることを許された。
侍従の君の部屋からはえもいわれぬ良い薫りが漂ってくる、平中が相手の髪に暗闇の中で触れるのだが、その髪は氷のように冷たい感触だった。暗い部屋の中で侍従の君の表情も確認できないままだったが、女性が「中仕切りのふすまの鍵を掛け忘れた」といって下着姿で部屋を出ていった。随分長く待ったが侍従の君は帰ってこない、もしやと思って鍵を調べにいくと、向こうの部屋の側から鍵が掛けられていて、平中はあっけなく振られてしまったのである。
恋の病を克服できずに悶え苦しむ平中は突飛な考えに行き着く、どんなに美人の女性でも排泄物は誰もと同じで汚く臭いもののはずだということで、便器の中を覗いて侍従の君に対して決定的な幻滅・嫌悪を味わいたいと思ったのだった。そして、便器を洗う係の女中から、侍従の君が使っている漆塗りの容器を奪い取ったのだった。
(後半部分)
平中がその便器を見ると、金の漆が塗ってある。素晴らしい装飾が施されており、開けるのに気が引けてしまう感じがする。中身はどうか分からないが、便器の金漆と装飾の美しさは、普通の人間が所有しているものではない。中を開けてみて幻滅するのも、残念な心持ちがして、暫くそのまま見ていた。しかし、このままではいけないと思い、恐る恐る蓋を開けてみると、丁子(香料のクローブ)の薫りが漂ってきた。納得することができずに不思議に感じて、便器の中を覗いてみると、薄い黄色の水が半分ほど入っている。
中には、親指ほどの大きさの黄黒い色をした二、三寸ほどのもの(排泄物)が、三切れほど丸い塊になって入っている。「多分、あれに違いないのだが」と思ったが、何ともいえない良い芳香が漂ってくる。そこにあった木の切れ端で突き刺して取り出し、鼻に当てて嗅いでみた。しかし、悪臭を感じることはなく、そこからは何とも言いがたい名香の黒方(複数の香料を練り合わせた高級なお香)の香りが漂ってくる。
全く予想もできなかった展開に、「やはり普通の女性ではなかったのか」と納得したのだが、これを見ていると、「何とかしてこの女性と親しくなっていちゃいちゃしたい」と狂おしいほどの恋心・色欲が溢れてきた。
便器を引き寄せて、中にある水を少しすすってみると、丁子の香りが口内に広がった。木の切れ端に突き刺したものの先を、少し舐めてみるとほろ苦くて甘い味がする。その上、その香りの良さは相当に素晴らしいものである。
平中は頭の切れは悪くないので、すぐに真相に気づいた。「あの尿に見せかけていた水は、丁子を煮た汁物だったのか。もうひとつのもの(汚物と思い込んだもの)は、トコロイモ(ヤマイモ)に香を練りつけていて、それを甘味料のアマズラと調合していたのだ。そして、太い筆の軸につめてから押し出したのだろう」と。
この機転の良さを考えると、「このようなことは他の人間でもできるが、相手が便器を奪い取って中を覗こうとするとは、普通は予測不可能である。こちらのすべてを見通した上での行動だったのだ。その機転の良さと心情の深さは、並大抵の女性のものではない。こうなったら、どうしてもあの女を手に入れたい」と、激しく恋焦がれているうちに、平中は重い恋煩いの病気になってしまった。片思いで悩みに悩んだ挙句、平中は死んでしまった…。
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