2012年3月12日月曜日

しょうゆ飯コンプレックス

宝箱
子供の頃の宝物が
入った箱根寄木細工
  極楽トンボになる瞑想を始めて1ヶ月ほど経つ。いろいろな雑念が浮かんだかとおもうと、突然、小さい頃のことが鮮明に、よみがえることがある。 私の生まれた家(現、静岡市清水区)の近くには、瓦屋さんが何軒もあり、いつも遊んでくれたSY兄ちゃんちも、瓦屋さんだった。(そらとび松平くんを想うの、松平(まつへい)おじさんの家)

  小学校2年生の、ある日曜日、先生から呼び出しを受けていた。行ってみると図画と担任の先生がいて、絵の道具が揃っている。呼ばれた生徒は、全校から10人ぐらい。好きな絵を描きなさいと言われ、いつも遊び場になっている松平おじさんちの、瓦を作る様子を描くことにした。竹ペンに墨汁をつけ、瓦一枚ずつ細かく線描きし、水彩で着色。みんなが帰ったあと、半べそをかきながら絵を仕上げたころは、教室が薄暗くなっていた。
  5年か6年になって、先生から賞状とメダルを渡され、私の絵が「国際児童・・・なんとかで、国連本部(もしかするとユネスコ本部)で展示された。」と聞いた。なんのことか、さっぱりわからなかった。家に帰って母親に見せたら、たいそう喜んで、「2年生のとき描いた、松平おじさんちの絵だ」と言った。今でもメダルを、大事に宝箱に入れてある。

  私は、炊き込みご飯が好きで、一昨日もたこ飯を炊いた。実は、これも瓦屋さんと関係がある。昔の瓦屋さんは燃料に木っ端を使い、窯のそばにうず高く積み上げてある。それに火の粉がとんで、よく火事になった。その時は、村の婦人会総出で炊き出しをし、お決まりのしょうゆ飯。おにぎりの、おこぼれが楽しみで、罰当たりにも火事のたんびにワクワクしていた。