2011年12月30日金曜日

木曽路にて NK-Japan

今日もお絵かきの練習
5個目のリンゴ
   年賀状の版画作りに夢中になっているうちに、「手描室」の宿題になっている”レモンのデッサン”がおろそかになっていた。3週間もストーブの部屋で待っていた、モデルの”レモンちゃん”は、すっかりしぼんでお婆ちゃんになっている。次のピチピチモデルが来るまで、冷蔵中のリンゴ姉さんに、代役モデルになってもらって練習。リンゴの実物は、美味しそうだが、思ったより赤黒い。そのままの色で描くと、ぜんぜん美味しそうに見えない。難しい(~_~;)
   昨日、NK-Japan夫妻が、年末年始越冬隊として、この飯田の山中にやって来た。いきなり「おい、お前のブログ、飯田中に広まってるぞぉ。」と夫婦でゲラゲラ笑っている。  先月23日のお茶会で、彼のお抱え運転手をした時のこと、上品な着物姿のご夫人がタクシーで帰るところだった。聞くところによると、ご夫婦でお茶のお弟子さんになっているとか。 そのご夫妻の家に遊びに行ったら、炬燵の上に「野越え山越え~NK-Japanはどこへ行く~」のコピーが置いてあって、「これ、あんたのことでしょ」と言われたそうな。 なんと、この上品なご夫人、手描室の先生の実の姉上であらせられたm(__)m  ピアノと手描室と、ついにはNK-Japan氏の茶道まで、くっついてしまった。ほんとに縁とは不思議なものだ。
   このNK-Japan夫妻、今朝こちらはまだ朝飯前だと言うのに、「いま二人で木曽路を塩尻まで歩いている。」とメールが来た。 あの学生時代のグーたらな姿を思い出すと、いい嫁を貰うと、人はこうも変わるものかと思う。

2011年12月29日木曜日

絶品! 村上の鮭 寒風干し

昨日届いた
村上の塩引鮭
昨年12月、鶴岡での葬儀のため、車で往復したことがあった。その道中、山形県と新潟県の県境に村上市がある。ここは昔ながらの”鮭の寒風干し”で有名だ。スーパーで売られている塩鮭は、塩漬け冷凍して、熟成していないものが殆どだ。 この「寒風干し塩引き鮭」は鮭の身に塩分をしみ込ませ、1~2週間軒に吊るし(たぶん今はもっと衛生的なところで吊るしていると思うが)、11月から12月にかけての、この地方独特の気温と湿度と寒風で鮭を熟成させたものである。この鮭がたまらなく美味いということを、あるグルメ番組で放映していた。
故人には申し訳ないが、葬式はそこそこに、この塩鮭を食べるために村上まで猛スピードで直行し、塩引鮭直営店が併設するレストランで塩鮭定食を食べた。まさに絶品であった。すぐ一本8000円もする鮭を買って帰った。 この村上までは雨仰庵から片道400kmもある。さすがのグルメ仙人も、今年はこの店の通販で買うことにし、そして待望の鮭が昨日届いた。 4kgのものを頼んだのに、計ってみたら3kgしかない。早速クレームの電話を入れたら、「4kgと言うのは、鮭の生前の体重です。」と答えが返ってきた。Webページを再度確認したら、なるほど、小さな字で「重さは捕獲時のものです」書いてあった。 なんと、この鮭は1~2週間で、1kgの減量に成功していた。  店の人に美味しい保存方法を聞いたら、「真空パックにして冷凍」と言うことだったので、鮭のために真空パック器まで買ってしまった。 家内には「アホちゃう」と笑われている!(^^)!
この7月、NK-Japan氏と石巻のYAさんを訪ねたときも、わざわざ遠回りして、この塩鮭定食を食べるために村上に立ち寄った。 NK-Japan 氏曰く(三河弁で)「どえりゃぁたきゃぁ塩鮭定食だどでよぉ、けどよぉ、たしかにうみゃぁわ!」 (標準語に翻訳 : 「ものすごく高い塩鮭定食ですが、確かに美味しいです」)
塩鮭定食 1,500円也。

2011年12月28日水曜日

伊那谷は氷の国(2) ツララもきれい

天気が良いとツララができる
最大1.5mぐらいになる
私は静岡生まれ。学生時代に金沢の友達のところにお邪魔した時、遠回りして大町でスキーを初体験した。それまで、目の前で雪を見たことがなかった。静岡で雪と言えば、富士山から風に乗って流れてきて青空に舞う”風花(かざはな)”で、それだけで子供達は大喜びをしていた。 就職して滋賀県で暮らすようになり、最初のうち綺麗だ綺麗だと大喜びしていたが、実際には車はすべるし、歩いていてもすべるし、生活するには大変なことだと知った。それに、道端によけた雪と言うものは純白のイメージと、かけ離れたダーティーな存在だ。
  滋賀県の家は、雪止めというのが瓦についていて、しかも雨樋があったので、軒にはツララが出来ない。 飯田雨仰庵は、冬枯れの木の葉が積もるし、雪が滑り落ちるように、雨樋もなければ雪止めもない。一年目は、玄関前に雪が屋根から滑り落ちて1.5mぐらいになり、閉じ込められたことがある。
  雨樋がない代わりに、雪降りの後、このような大きなツララが出来る。私は生まれて始めて、ここでツララを見た。ただ、数日すると屋根の雪が雪崩となって滑り落ち、この見事なツララとともに地響きを発てて落ちてくる。軒下にいたら、ひとたまりもない。
  だから、雪が降ったら、純白と木の枝が作り出すなんともいえない模様と、光を受けて輝くツララの自然美を、家の中で、ぬくぬくと楽しむことにしている。贅沢この上ない。

2011年12月27日火曜日

伊那谷は氷の国 毎年何かが起こる

スローライフを目指して
いたとは思えない
最新式トイレ

今朝、起きがけにいつものようにトイレに行った。着替えをしながら毎日の行事としてストーブの前で越冬から目覚めるクマのようにボーっとしていた。又しばらくして朝食の準備をしようと、その前にまたトイレに立った。すると先ほどのが、流してない(-_-;)  一瞬、ついに来たかと思った。そういう人たちの話を家内から聞いていたからだ。しかし、再度流そうとしても”カチッ、カチッ”と音がするだけで流せない。台所に行って蛇口をひねると、やはり水も温水もでない。朝食どころではなくなってしまった。
長野県を、ひっくるめて雪国と呼ぶ人が多い。しかし北部豪雪地帯と比べ、この南部伊那谷は雪国と言うより氷の国だ。積雪はたいしたことがないが、とにかく冷える。 水道が凍るハプニングはこの5回目の冬で、(性懲りもなく)5回目だ。最初は、新築当時(20年前)の凍結防止設備の劣化から1回目の越冬で3回、次々と起きた。最悪は、1週間留守にした時に風呂のサーモ付混合栓が破裂して修理に7万円も取られた。ちゃんと手順どおり水を抜いてたのにだ(どう考えてもサーモコントロール部に水が入るなんて不良品だ・・・いまだにTOTOから回答がない)。次に困ったのは昨年の12月末だ。風呂に入るつもりで水を抜いて掃除をしておいた。年賀状彫りに半徹をして、結局3日間風呂に入れなかったが、その後、温水器の配管が爆発した。(冬期夜間は、風呂の水を抜かないでくださいと説明は受けていた。) 今回は、この夏工事した合併浄化槽の業者が、凍結防止のコンセントを抜いて放置したのが原因だった。 水道管にヒーターを巻くのだが、この電気代が馬鹿にならない。夏の電気代5~6千円に対して、冬2万円を越える。電気暖房はないので、凍結防止に約1.5万円掛かることになる。井戸水ならこんな必要がないが、文明と言うものはエネルギーと金を無茶しているなと思う。
近くのカインズホームで、この凍結防止ヒーターの節電グッズが売っている。通常外気温が4度になるとスイッチが入るらしいが、この節電装置を間にかますと2度でスイッチが入るらしい。が、近所の爺さんこれを付けたら、次々と水道管が爆発した。節電が利きすぎたのだ。

2011年12月26日月曜日

予定は一週間に一つ

11月の第2週
毎日予定が入りパニック
昨日話した、家内がボランティアで村の老人会のお世話をさせてもらった時のこと、多くのお年寄りが忙しいと言う。「おばあさん、何いってんねん?」と彼女は笑っていた。例えば半年も先のおじいさん(ご主人)の法事のことが気になって忙しいなど。
会社では、第三者(普通は上司)が、忙しいかどうか判断して仕事を割り振ったり、給料がそれで決まったりする。しかし本来、忙しいと言うのは主観的問題だ。 リタイア後、一日一件の予定が入るだけで何か気ぜわしいことに気づいた。そのうち一週間に一つ予定が入るだけでも、忙しいと感じるようになってしまった。どうも、そう思う心のキャパシティがだんだん小さくなっていくようだ。 とにかく予定が入ると、それが気になって気になって、まるで喉に魚の骨が引っかかっているような感じになる。この11月の第2週は何故か毎日予定が入り、パニックになった。 予定は一週間に一つ。だから、ピアノのレッスンがあるときは他の予定を入れない。 普通の人(特に私には時間がたっぷりあり、暇をもてあましていると思っている人たち)は何週間、場合によっては何ヶ月も前から着々と計画を立ててくる。 そんな先の約束をしても、ず~っと気になって気がおかしくなるに決まっている。だから、遠い先の約束をしないことにした。私がこんな風だから、あんまり人は訪ねてこないが、来てもらう場合は、「明日行くけど都合は?」程度にしてもらっている。都合が悪ければ??「ごめん、じゃぁまたね」・・・お断りするのも、この方が楽だ(^^ゞ

2011年12月25日日曜日

歳をとる事と老人になること

寝室からの景色
歳をとると毎日の昼寝が欠かせない
今日の昼寝タイムの窓の外、この冬一番の雪
私はこのブログでも「歳をとった」とか「爺さんになった」と、よくぼやいているが、「老人になった」と思ったことは一度もない。時間の流れとそれに伴う身体の変化、考え方の変化は受け入れられても、「老人」という型枠に、特に行政が決めた枠の中に入れられるのが嫌なんだと思う。
以前住んでいた「村の掟」に詳しい家内によると、「数えで65歳になったら、村の老人会に入ることになっている。」とか。今年その歳を迎えてしまった。本来ならば、村の老人会の若手として、先輩達のお世話をしなければならない。つまり、老人会のパシリだ。ある意味、そういう付き合いが苦手で飯田まで飛んできたが、逆に、世間のお役に立てず、誠に身勝手で申し訳ないと思う。
ボランティアで、その老人会のお世話をしたことがある家内から、「一日バス旅行する時、昼寝タイムをとる、広い畳の部屋を確保するのが大変だ。」と聞いたことがある。私も最近昼寝が欠かせなくなった。昼寝をしないと体の調子が悪いので、だんだん遠出が億劫になる。今日もぼ~んやりとしながら、ベッド脇の窓から雪景色を眺めていた。
こんな気ままな爺さん、行政の決めた老人枠に入るのが嫌だと言いながら、「老人福祉・・・補助」などと市役所からアナウンスがあれば、真っ先に手を挙げて跳んで行く・・・穴があったら入りたい(^^ゞ

2011年12月24日土曜日

年賀状10枚 事業仕分

最後の第4版の刷りを残すのみ(昨夜)
私はもともと切羽詰らないと何事もできない。以前はそうなってからでも、一気に片付けることができたが、この前書いたように根気が続かなくなってから、そうはいかなくなった。年賀状を面倒な手作り版画にしたのは良いが、毎年ぐずぐずと大晦日まで掛かってしまう。昨年は紅白が終わってから郵便局に出しに行った。
今年はウルトラマンタイマーを使って、根気を小出しにしたお陰で今日24日に年賀状を出すことができた。なんと4年ぶりの快挙だ。
この年賀状だが、パソコンプリントをやめて版画にしてから、新たな悩みが出てきた。当然ながら、一枚一枚出来が違うのである。今年の版画は4色刷りにした。 仮に、一枚の版当り、上手く刷れるのが80%と仮定すると、0.8の4乗=0.4 つまり、10枚の年賀状のうちまともなのは4枚しかない計算になる。これが一色当り70%とすると良いのは2枚しか残らない。ハガキなので捨てるわけにも行かず、良い順に並べて、どれを誰に送るか非公開事業仕分けをすることになるのである。ほんとは一番親しい人、親密な人に一番の作品を送るべきだが、私は見栄っ張りなので、絵にうるさい人順に良いものから送ることになってしまう。
ある日、一番お世話になっていて親しいNK-Japan氏に、このカラクリがばれてしまった。彼に行くのは下から数えたほうが早いことが知れると、「なんでぇ、おれのが一番いいのじゃぁないのか?」・・・
貰うほうも、皆、自分のところへ来るのが、一番と思っているらしい。

2011年12月22日木曜日

ウルトラマン・ウギョウ 変~身15分

私のウルトラマンタイマー
 若い頃、何かに熱中すると、ほんとに熱が出てよく会社を休んだ。皆に「O君の知恵熱が出た。また、何か面白いもん買いやがったな。」とよく冷かされた。私は何か面白いことを始めると、時間も何も忘れて没頭する。だが最近それが無くなった。
歳をとると一番先に体力減退と言われるが、私の場合もとから体力減退しているので、一番感じるのは根気の減退だ。ピアノ、絵画などやりたいことと自由時間は山ほどあるのに、長時間続けることができない。テレビでさえ、1時間ドラマや2時間のスポーツ番組などを通して視ることができなくなった。我が家ではニュース以外、見たい番組は録画して何回かに分割して視ている。
そういえば昔、テレビや映画のヒーロー、ウルトラマンも集中力は抜群だったが、体力が3分しかもたなかった。
そこで最近、私は何か集中するとき、ウルトラマンのカラータイマーならぬキッチンタイマーを首にぶら下げ、(3分ではさすがに何もできないので)15分でとにかく打ち切ることにしている。15分にしたのは二つ理由がある。
一つはピアノの練習だ。指の麻痺が進んできて、ピアノを長時間弾くと、次の日以降、指が動かなくなってしまうようになった。いろいろ試したが、30分だと影響がまだ出る。一回あたり15分位にして休み々々弾くと大丈夫なことがわかった。それでも1日トータル1時間が限度だ。(1年目は音大生に負けじと、1日3時間から5時間位練習した。それが今響いている様だ。)
二つ目は、会社にいた頃、ブレーンストーミング(注:自由に意見を言って、アイデアを沢山出す会議)では、最初の15分で90%のアイデアが出尽くすと聞いた。つまりそれ以上(長い会議を)やっても無駄ということだ。それが不思議なことに、時間をおいてやると、また次々と新しいアイデアが出てくる。どうも脳が効率よく働いてくれるのが15分が限度らしい。
最後の一枚!(^^)!
年賀状の版画を作り始めて2週間経ってしまった。版下作りが面倒なことは前に「Tシャツ君・・・」で述べたが、根気が要るのは、彫りだ。彫るたびにどっと疲れ、再開するのが億劫で、ずるずると来てしまった。ふと、昨日、版画を彫る時、首にウルトラマンタイマーを着けていないことに気がついた。なんと15分ピコピコで掘り出してから、4枚のうち2枚、それも一番手のかかる複雑な2枚が2日間で出来上がった。私の年賀状は今まで元旦に届いたことがないが、今年はピコピコタイマーのお陰で、なんとか間に合いそうだ。

2011年12月21日水曜日

トントン庄太さんがくれた固まり砂糖

固まった砂糖に水を少しかける
テレビでプロの料理人が、魚や肉にパラパラっと見事に均一に、塩やコショウを撒くのをよく見る。料理でも形にこだわる仙人は、あれがしたくて、今日も焼き塩を作った。
コショウも色んなミルを買っては上手く行かないので、これはバッタモン(関西で言う、安物、粗悪品)だからと、3000円もするミルを買ったことがある。が、やはりプロがやるような音が出ず、ごそごそ音がするだけなので、今はお蔵入りだ。塩撒きも、いくら焼き塩を作ったからと言って、私がやると台所中塩だらけに散らかって、山の神に叱られる。 やはりどの道もプロと言うのはすごいと思う。

5分後、固まりは簡単に粉になった
焼き塩にして、パラパラにするということは、塩は水を吸って固まったり、べたべたすると言うことだ。「砂糖は反対に、乾燥して固まるので、水を少し加えてほぐすと良い」とネットのTipsにあった。試してみると、金槌でも割れそうもない砂糖の固まりだったが、5分ぐらいで見事粉にすることができた。 「塩辛い」と「甘い」と味が反対だけでなく、固まり方まで反対だったとは知らなかった。

私の祖父(じい)さんは、私が幼稚園の頃亡くなったので、あまり記憶にないが、一つだけ鮮明に覚えていることがある。ある日台所の甕の中から、祖父さんが砂糖の固まりを、(今思うと)盗み食いしているのを見つけてしまった。すると一つ小さな固まりを私にくれた。幼子に砂糖泥棒の片棒を担がせ、黙っていろという暗黙の了解だった。私も義理堅く、その後両親には喋っていない。
大きくなって祖父さんのことを色々聞くと、しょっちゅう家のあっちこっちを直して、金槌で叩いているので、近所では「トントン庄太さん」と渾名(あだな)を貰っていたらしい。また、根っからの甘党で、ご飯に砂糖をかけて食べていたとか。「ぼたもちには、あんこが巻いてあるのに、飯に砂糖かけて何が悪い?」と屁理屈をこねていたそうだ。 私の屁理屈も甘党も、また毎年雨仰庵のどこかを改装しているのも、トントン庄太さんのDNAを受け継いでいるようだ。

2011年12月20日火曜日

スローライフという誘惑

ペレットストーブ
今年は急に寒くなったせいか、ストーブ燃料消費が多い。年を越せるだろうと思っていたが怪しくなってきたので、燃料を買いに行ってきた。我が家のストーブは、ペレットストーブだ。木質ペレット(=間伐材などを細かく砕いて直径3mmx2cmぐらいに押し固めたもの)を燃やすので、基本的には薪ストーブと同じ、空気中の二酸化炭素を増やさない、環境に優しいストーブだ 。ここ雨仰庵の冬の気候は、零下10~15℃まで冷えるので、ヒートポンプ式のエアコンは役に立たない。どうせ夏は冷房が要らないので、近所でも、もっぱら冬の暖房に頭を悩ますことになる。
近年、リタイア後の生活を”田舎暮らし”、”LOHASな生活”、”スローライフ”など、どちらかと言うと不便な生活に憧れる傾向にある。かく言う私もその一人だったが、団塊の世代で、しかも田舎で育った人間にとって、子供時代はスローライフそのものだった。
炊事 薪割から始まり、かまどでご飯を炊く。薪や炭で煮炊きをする。
風呂 井戸からバケツに水を汲み、風呂桶一杯になるまでえっちらおっちら水運び。その後、薪で風呂を焚く。
洗濯 井戸からたらいに水を汲み、洗濯板でごしごし。
暖房 薪割りしてストーブ、または炭を起こして火鉢か炬燵にあたる。
などなど・・・
よく考えたら、こんな生活を爺さん一人、もしくは老夫婦で、できる訳が無い。昔、大家族で全員が働いて(子供の場合お手伝いと言った)、やっとできたのだ。 この界隈でスローライフの象徴は、上記4番目の薪ストーブだ。私もできればペレットストーブをやめて、薪ストーブにしたいぐらいだ。近所のIGさんは、夏中暑い中、チェーンソウとよきで木を切り冬に備えて薪作りをしている。家の周りぐるりと薪をカチカチ山の狸のように積み上げても、冬になれば2~3週間で終わりだ。 これを業者から薪を買うとなると、一日3000円ほどかかる。
従って、雨仰庵仙人としては、スローライフは諦め、(ファーストフードをやめて)スローフードで、せめてもの山暮らしを楽しんでいる。