最近家内が”断捨離断捨離”と盛んにいう。友だちに借りた本を読んで、やっと整理整頓に目覚めたらしい。捨離団という主婦のなかまを作って、こちらはもっぱらランチタイムを楽しんでいるらしい。脂肪の断捨離もしてもらいたいもんだ。
この前京都へ行った時、滋賀の家に寄ったら、ある程度片付いていたが、大物家具が増えていた。よその家の断捨離の廃棄物を、中古業者の家内が嫁入り先を引き受けて、わが家に一時保管しているという。
他人のことを言ってる場合ではない。雨仰庵は小さな家で、物を仕舞う場所がなかった。ピアノの部屋を作ったついでに、床の間と押し入れを改造して、洒落た壁一面の”クローゼット”を作った。
最近は整理整頓のコンテナも安く売っている。立体的に綺麗に積み上げると、収納容量が増え、かつ綺麗になる。実はここが問題だ。
整理整頓の「整理」は、人員整理と言う言葉があるように、不要なものを切るという意味だ。整頓が綺麗に配置するということで、結局、整理しないまま整頓したおかげで、綺麗にはなったが、入れ物が大きくなっただけ物が増えることになった。私は一度握った手は開かないのだ。
結局クローゼットは、家内が衣類などを仕舞ってくれただけで、私はほとんど開けたことがない。
私は小綺麗を日常訓にして、ほぼ毎日洗濯をする。最近ふと気がついたが、下着だって、パンツ(最近ズボンと言わないらしい)もシャツも物干しから取ってきて着替えている。隠居暮らしでは、着替えは3セットもあれば十分だ (^^ゞ