今日は1ヶ月ぶりのピアノレッスンだった。本来ピアノレッスンは、家ですらすら弾けるぐらいまで練習した後、その表現方法について先生のご指導を受ける。私の場合はそれ以前の問題。今日は、モーツアルトの「トルコ行進曲」を、どうやって練習するかを指導頂いた。K先生もなかなか辛抱強い方だ(^^ゞ
レッスンに行く途中、松本から峠を越えた所に”麻績(おみ)”と言うICがある。ここを通ると、長野のBYボッチ氏の「ヒッチハイカー」の話を思い出す。
2年前に麻績の道の駅でヒッチハイカーを乗せた。しばらくすると身の上話をしだした。「会社が倒産し、一文無しで、実家のある滋賀県の高島へ帰るところです。」 BYボッチ氏も、滋賀県に住んだことがあり、高島と言う地名を良く知っていた。気の毒に思った彼は、帰りの汽車賃として、(少ない年金の中の更に少ない)小遣いから、大枚5,000円を貸してやった。借用書には”滋賀県高島市XXX町YYY 123番地”と書いてあった。 今から思うと最後の123番地が曲者だ。XXX町YYYと言う地名は存在したが、123番地は該当無し(~_~;)
昨年の秋のこと、BYボッチ氏の息子G君が、友人達と4人でドライブ中に、東御市(とうみし)の道の駅でヒッチハイカーを拾った。「会社が倒産して・・・・滋賀県の実家に帰る」という身の上話。親父がやられたのと同じパターンだ。G君達も気の毒に思い、4人の有り金を全部はたいて彼に渡した。4人合わせて¥840円。 これを聞いて、私は切なくなったが、同時に「鉢の木」の話を思い出した。「いざ鎌倉」という言葉の元になった話だ。源氏武士の佐野源左衛門が、旅の僧に暖をとらそうとしたが薪が無い。そこで自分が大事にしていた、盆栽の「梅」「松」「桜」の鉢の木を切って囲炉裏にくべ、もてなしたという話しだ。
それにしても許せないのは、この似非(えせ)ヒッチハイカーだ(-_-;) うちの山の神は”滋賀県を騙られて怒り心頭に発し怒髪天を衝く形相(怖ぁ)” フーチャンコネクションを通じて、犯人の指名手配を行った。
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謡曲「鉢の木」 :
ある大雪の日、諸国遍歴の旅の僧が上野国の佐野の渡しで行き暮れて、路端の貧しげな民家に一夜の宿を求めました。しかし、家の主人は貧しさのため、家はみすぼらしく、旅人をもてなそうにも何もしてやることはできないため、それではあまりにも申し訳ないと一度はその僧の願いを断りましたが、雪の中で難儀しているのを見捨てることもできず、結局、泊めることにしました。
主人は客となった旅の僧に粟飯を炊き、心ばかりのもてなしをしますが、夜が更けるとついには暖をとる薪さえなくなってしまい長旅で疲れ果てた旅の僧に満足に暖をとってもらうこともできなくなってしまいました。そこで主人はやむなく大事に育てていた秘蔵の盆栽「梅」「松」「桜」の鉢の木を切って囲炉裏にくべ、火を焚いて旅の僧をもてなしました。
僧は篤い志に感動し、主人を由緒ある人と察し、強いてその素性を訊ねたところ、「この上は何を隠しましょう。 これこそ、佐野源左衛門常世のなれの果てでござる」と素性を明かしました。僧が「何故にそのようになられた」と重ねて訊ねたところ、常世は「一族の者に所領をことごとく押領されて、かくの如き身となりました。しかしながら、落ちぶれたりといえどもこの源左衛門、鎌倉殿の御家人として、もし幕府に一大事がおこれば、千切れたりとも具足を着け、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り、一番に鎌倉に馳せ参じ、一命を投げ打つ所存でござる」とその覚悟のほどを述べました。話しを聞いていた僧は、返す言葉もなく、ただただ何度も何度もうなずくだけでした。その後、じっと話を聞いていた旅の僧は、「ご覧のような者でたいしたことはできないが、もしも訴訟などで鎌倉に来られたら、何かのお力になろう。幕府に裁判所のあることをお忘れあるな」となぐさめ、翌朝には旅立ちました。
やがて春になり、幕府から、鎌倉に一大事がおこったとて、緊急の動員令が下されました。まさに「いざ鎌倉」と関東八か国の御家人たちが先を争ってかけつけ、その中には当然、かの佐野源左衛門常世の姿もありました。すると大勢の武者の中から幕府首脳部の前に召し出された常世は、千切れた具足に錆びた薙刀のみすぼらしい姿をあざけり笑う武者達の前を悪びれることなく進みます。そこで待っていたのは、あの時の旅の僧でした。「わしはいつぞやの大雪の日、一夜の宿をそちの家でやっかいになった旅の僧である」実は雪の日の旅の僧こそ、前執権(しっけん)で鎌倉幕府の最高実力者北条時頼その人であることを知って常世はおおいに驚きました。時頼は常世の言葉に偽りがなかったことを賞し、先日の約束を果たしたことを誉め、その志にむくいるため、時頼はただちに奪われた佐野庄三十余郷を常世に返し与えただけでなく、薪にされた三鉢の盆栽の梅・桜・松にちなんで加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の三つの庄園を新たに恩賞として与えました。まことに過分の待遇であったといってよく、常世は大喜びで故郷に錦を飾ることになりました。
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