今日は11月22日、語呂合わせで「いい夫婦の日」とか。今朝のNHKニュースによると
”この日を前に、民間企業が行った調査で、全体の8割以上が、「夫婦円満」だと答えたものの、円満でいるために、我慢や忍耐が必要だと考えている人が多いことが分かりました。 ”
徒然草にも「おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば・・・」とあるが、大人の世界は複雑だ。
今年の2月石巻市雄勝町のYAさんを訪問したとき、つぎはどっかで落ちあいましょうということになった。私が会津若松に行ってみたいというと、すかさずYAさんから「坂下町(ばんげちょう)春日八郎記念公園おもいで館で」ということになり、先週、NK-Jpan夫妻と一緒に会津若松を訪れた。
坂下町は春日八郎の出身地、おもいで館は有名な「別れの一本杉」という歌のモデルになった杉の木の近くに作られた施設。YAさんからカラオケがあると聞いたNK-Japan氏は勝負するといって家でだいぶ練習したらしいが、お話にならず、結局YAさんの一人舞台になった。レーザーディスク3枚分の歌を延々と歌い続け、最初、おもいで館の主のような(春日八郎似の)おっさんが歌っていたが、すごすごと帰ってしまった。
一人一芸ということで、私は手描室で描いた絵を6点持って行き、NK-Japan氏は盆点前セット(抹茶のポータブルセット)持参、宿で絵の展覧会をしながら、NK-Japan氏のお点前を皆で楽しんだ。
10月の手描室展で、多くのお客様から「癒される」「心が落ち着く」などの感想を頂いたので、微力ながら「仮設暮らしでほっこりしていただけるのではないか」と、絵はYAさんに持ち帰ってもらった。
この会津若松の「若松」という呼び方は、わが滋賀県蒲生郡竜王町のとなり、日野町の「若松の森」から、蒲生氏郷(日野出身)統治時代に言うようになったと鶴ヶ城のパンフレットに書いてあった。
そして、江戸時代にはいって、保科正之が城主となった。この人は恐妻家2代将軍秀忠の隠し子、つまり3代将軍家光の弟だ。NHK大河ドラマで有名になった「お江」に内緒で保科家に預けられ、いま私が住んでいる伊那谷の高遠城主であった。こんなことを知るにつけ、会津若松はなかなか縁の深い地で、気のおけない人たちとゆっくり過ごした楽しい旅だった。
10年ぶりくらいに家内とツーショットを撮ったが、よりによって「別れの一本杉」の前だ。こんご円満な家庭生活がおくれるのだろうか??
「物言えば唇寒し秋の風」芭蕉