2014年2月8日土曜日

忘れ物の達人 その3 毎日するべきことも忘れる

今日は昨夜からの雪で積雪50㎝を超えた。庭の雪の高さを見ようとピアノの部屋の窓を開けたらやけに寒い。二重サッシなのにと、ふと見ると網戸になっている。夏場、外側のサッシを開けたまま秋になって閉めるのを忘れていた。どおりでピアノの部屋が寒いと思った。
 こんなたまに(年一回するぐらい)のことを忘れても、まぁ歳相応かと思うぐらいだが、最近、
毎日しなければいけないことさえ吹っ飛んで忘れるのだ。
 行政上、高齢目若手類に分類されるようになったが、年寄りといえども、一人暮らしをしていると毎日山ほどすることがある。洗濯、食事の準備と後片付け、野鳥の餌やり、花の水やり。これに趣味のピアノの練習、手描室の自主トレ、読書、写経、テレビのニュースや視たい時代劇、夏になるとチョウチョが翔んでくるし、一服も仕事のうち(やることが山ほどあることにくたびれるのだ)
 こうやって文章に書いてみると、忘れそうにないことばかりだが、ぶっ飛んでしまう。と言っても飯を食う以外、やらなければならないことは一つもない。忘れてもどうでもよいことばかりだが、とんでもなく忘れるということに、密かな恥じらいと困惑を覚えるのだ。 伊藤礼さんのエッセイが面白くて、いろいろ読んでいるが、「自転車ギコギコ」のなかで忘れ物をちょくちょくして大変困った話が書いてある。こんな偉い人でも忘れ物をするのだから凡人が恥じることはないのだが、こまるものは困るのである。

以前書いたが、忘れ物対策として
1) 置き忘れには、物にホームポジションを決める
かごを置いてなんでも放り込んでおけばOK 鍵、車のキー、宅配のハンコなどなど
2) 出かけるときのためにチェックリストを作っておく
たとえば、ピアノレッスン、手書室、旅行、葬式、通院などなどなど
3) 片付け物は邪魔なところにおく
  洗濯が終わったら、トイレにいくついでに漏れそうになるのをがまんして、まず洗濯機から洗濯物をかごに必死になって移しトイレのドアの前において、ようやくトイレですっとするのである。この頃の洗濯機は親切にも終わったとピーピー知らせてくれる。だが、たまに聞こえない時がある。ピアノを弾いているとまったく聞こえないのだ。じつはピアノを弾いている本人は気づかないがものすごい音を出しているらしい。電話も聞こえないので、これは便利だ。居留守を使うまでもなくまったく気が付かないのだから、居留守をつかう罪悪感を軽減できるのだ。
  話が横道に入ったが、洗濯機の悲鳴が聞こえないが最後、洗濯していたことを忘れるのだ。そして次の日、新たな汚れ物と一緒に二度洗いすることになる。
  食事後の食器洗いも同様。シンクにつけておくと次の食事まで忘れるので、ワゴンの上に茶碗や皿を置いて、通路の邪魔になるところにおいておくのだ。こうすると洗い忘れることはない。
 最近このジャマー方式のさらなる利点を発見した。家内がこちらにいる時、全自動で洗濯物も洗い物も片付くのである。彼女が部屋を徘徊する時邪魔になって通れないので、頼まなくても片付けてくれるのだ。

これら以外のデイリーワークを忘れないようにするには習慣化することだ。まるで忘れ物防止自律神経があって、するべきことを無意識に自然に動くように体に叩きこめば良い。
 とにかく習慣として身につくまで、毎日やるべきことを思い出すためにメモをつけてみることにした。小川洋子著「博士の愛した数式」を地で行くようなものだ。
 三ヶ月続ければ習慣化するという通説があり、最初楽観的に考えていた。だが、なかなか身につかない。最近の研究で、もっとずっと長い時間がかかるという報告が米国であった。不親切にも何時間続ければよいかということは書いてない。とにかく3ヶ月よりずっとずっとず〜っと長い時間がかかるそうだ。こうなればもう、とにかく根性だ。

間寛平のギャグに「アメマ〜」というのがあるが、「メモマ〜になる」とにかくメモメモメモマアメマ。

・絵を描く・ピアノの練習をする・写経をする・血圧を測る・血圧の薬を飲む・家計簿をつける・冷蔵庫の材料をみてつくろうと思った料理・不足している調味料や食材・室内室外の気温を記録する・体重を記録する

紙のメモはメモをどこにおいたか忘れるのが難点だ。そこでiPhoneでメモ(ToDoリスト)することにした。iPhoneは忘れても、電話をかけるとピポピポと答えるういやつだし、遠くに忘れた時はiPhoneを探すというソフトで探すことができる。先々やることも当日になって教えてくれるし、なかなか便利なものだ。今朝方の反省を踏まえ、さっそく「毎年の10月1日に二重サッシの戸締りをチェエクする」ようにセットした。

ところが最近気がついたのだが、メモをとるとメモを見なくても覚えているのである。そういえば、受験勉強で英単語を覚えるのに、天才秀才たちは目で読んだだけで覚えていたのに対し、私はスペルを手で書くと覚えることができた。一手間かかかっただけ後塵を拝したわけだ。
  ということで、ただいまの最大の課題は「どうやって、メモをとることを忘れないようにするのか」なのである。さっきメモしようとしたことは何だっけ?がちょくちょく起きる。
  「メモをとるとメモする、ということをメモする・・・」